途切れながらも続けている東高野街道のハイキングですが、11月11日に、いよいよ京・大阪道を高野山まで歩いてきました。 何回かにわけて記事にしますが、初回は学文路駅から神谷集落まで。 |
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高野山1dayチケットを購入して、難波駅から橋本乗換で学文路に向かいます。 平日の朝にもかかわらず、高野山にお参りらしい人は多いですね。10月に九度山に行ったときの倍は乗ってます(^^; ※ 九度山芸術祭と高野街道の記事はこちら |
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橋本を出た電車は紀ノ川をわたって、高野山に近づきます。 | ||
学文路駅で下車。ここは京・大阪道と町石道の分岐点、今回は、駅前の案内板に従って京・大阪道へ足を進めます。 | ||
九度山芸術祭の時も参った刈萱堂で、これからの道中の無事をお祈りします。 近所の小さな女の子とおばあちゃんが見送ってくれました(^^) |
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学文路から高野山までは約12Km。学文路の集落には四里石があります。写真は九拾町石(約10Km)。これらの道しるべ、お地蔵様、旧跡などが歩きの目印で励み(^_^)になります。 | ||
旧街道とはいえ、ほぼ全コースが車道で舗装もされており、神谷集落までは家並みも続いて、山の中を歩き続ける町石道よりは、楽しいですね(^^) | ||
バイパス道路が平行しており、道標を読み違うと新道を歩いてしまいます。わたしも往路でやらかしました(^^; | ||
「大師の硯水」 いわゆる弘法清水のひとつですね。今でもコンコンと湧いており、簡易水道の取水口になってます。 |
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第四の地蔵(第三の地蔵は見落としました(^^;) | ||
このお地蔵様のところが峠になっていて、丹生川の谷底の川根地区まで急な下り坂になります。 | ||
川根地区は街道の宿場町として栄えたそうです。 川根丹生神社と日輪寺がならんでいます。神仏習合のなごりでしょうか。 左下は、神社の拝殿からみた高野の山並み、右はお寺に奉納された武者絵馬。 |
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元本陣の中尾旅館。いまは休業中のようですが、昔の講中の木札が歴史を感じさせます。 | ||
丹生川を渡ります。上流は玉川峡と呼ばれてキャンプ場になる景勝地です。 | ||
さて、下りの後は、急な登り返しがまってます(^^; 息を切らして休みながら上がっていきます。 |
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登り終わると、また集落があって第五の地蔵さまです。手を合わせて、一休み。 お地蔵さまは急坂の上に祀られていることが多く、昔から疲れた旅人を癒してくださったんでしょうね(^^) |
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文政四年(1821年) ちょうど今(2021年) から200年前に立てられた石燈籠。 | ||
視界がひらけて紀ノ川流域がみえます。この付近で標高380mくらい。スタート地点から300mくらい登りました(^^; | ||
廃屋のようですが、趣きのある茅葺屋根。 | ||
また急坂をあがって第六の地蔵。 | ||
元は旅籠か茶店だったような建物。いまは福祉施設のようです。この付近から神谷集落にはいります。 (続く) * |
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