途切れながらも続けている東高野街道のハイキングですが、11月11日に、いよいよ京・大阪道を高野山まで歩いてきました。 | ||
前回の記事では、学文路駅を出発し、一部に劇下りがありますが、ほぼ一貫して登りつづける旧街道をあるいて行程の半分を過ぎました。もう高野町に入ってます。2回目は神谷集落から女人堂まで歩きます。 ※ 前回の記事はこちら↓ |
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尾根にでて、平坦な道になってきました。 | ||
神谷集落の外れに「日本最後の仇討ち」の現場があります。明治四年の出来事だそうで、これをきっかけに仇討禁止令が出ます。 | ||
仇討ちで斃された6人の墓所 | ||
凄惨な仇討現場から少し行くと、こんどは明るいむすびの地蔵さまがありました。 | ||
お地蔵様の前には1里石。ようやく行程は3分の2まできました。 | ||
神谷集落にはいります。ここは、2里石のある川根地区とともに京・大阪道の最後の宿場として栄えたそうです。 | ||
集落の高野山寄りに外れに、こんな標識があります。旧街道は「極楽橋」方面へ曲がるのですが、「高野山」方面の記載を早とちりして(^^; 自動車道に進んでしまいました。 | ||
道は車がすれ違うのがやっとの狭いところから、2車線の広い区間までいろいろです。しばらくは谷底を走る高野線の軋み音が聞こえます。標高も600~700mまで上がってきて、紅葉が美しくなってきました。 | ||
この付近は少し雲って紅葉の写りがイマイチなのが残念(^_^) しかし、いつまで歩いても、極楽橋に着かないので、地図を確認してようやく道を間違えたのに気が付きました(;^ω^) でも、不動坂の急坂を登るより、2Km以上う回になりますが、勾配の緩い(と、いっても車道ながら急な坂道でしたが(^.^) コースとわかり、まあエエか←テキトウ(^^; と、そのまま進みます。 |
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不動川沿いから山を切り開いた殺風景な急坂を登り切って、小さな谷川沿いに進みます。 | ||
急に視界が開けて、近代的な建物がいくつも現れて、鶯谷地区の高野山中学前に着きました。イチョウの大木が目印の集会所まえで、昼食休憩。 | ||
ここから旧黒河道の女人堂跡を通って、京・大阪道の女人堂に向かいます。 道を間違えましたが、黒河道や女人道をすこし歩けたので、結果的にヨシとしましょう(*^-^*) |
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旧黒河道女人堂付近の旧家。火炎窓風デザインの窓がしゃれてます。 | ||
女人道は、このコースではじめての山道です。途中に小さなピークをふたつほど越えました。 | ||
歩きはじめて3時間15分ほど、距離にして15kmくらいで、ようやくハイキングコースの終点の女人堂に着きました。お疲れ様です(^_-)-☆ | ||
この石柱の結界を入って坂を下りると総本山高野山金剛峯寺です。 たまたまバスがやってきたので、せっかく1日乗車券を持っているので(笑)5分ほど乗りました。 |
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臨時バスでケーブルに接続しなかったのか、車内はガラガラでした(^.^) (続く)大阪のギャラリー巡りを先に入れます。 * |
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