7月26日は、休みを取って暑い中ですがあちこち出かけてきました。午前中は軽く三井寺周辺の歴史散歩。 大津京駅から歩き出して、三井寺境内の南院地区まできました。 |
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西国三十三箇所第十四番札所の三井寺観音堂の石段を過ぎると、長良神社です。 天智天皇が大津宮の鎮守社として須佐之男命を長等山に奉られたのがはじめだそうで、1300年の歴史を持つ古社です。朱塗りの鮮やかな楼門は、明治時代に建てられたものです。 |
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境内には保育所があって、水遊びをする子供たちの歓声と、お布団を干す保育士さんの動きで、たいへん賑やかでした(^.^) 平家物語の「忠度の都落ち」で有名な、平忠度の 「さざなみや志賀の都はあれにしを昔ながらの山桜かな」 (千載集には詠み人しらず) の歌碑も保育所が映り込まないように注意して(^^; |
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こんな石碑もありました。 昭和13(1838)年当時の700円は現在の価値で100万円ちょっとといったところでしょうか。 100年後(1938年)は、まだ十数年先ですがこの貯金通帳は現在も有効なんでしょうかね(笑) |
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三尾神社の横手から琵琶湖疏水が長等山に吸い込まれていきます。トンネルは観光船は通れますが、道は山越えになります(^.^) | ||
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小関越の大津側の上り口。北国街道からつながります。 写真では見にくいですが、「右 小関越 三条 五条 いまくま 京道」と、彫られています。「いまくま」は今熊野観音寺のことで、三井寺(14番)の次の西国巡礼15番札所です。 |
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坂道を上ること15分ほどで峠につきます。お地蔵様のお堂で一休み。 お堂の掲示に寄れば、道路改修で掘り出されたお地蔵様を奉ったのだそうです。 |
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下りも15分ほどで山道は終わって藤尾地区に出ます。峠が府県界のところが多いですが、山科盆地側も大津市です。おそらく昔はこの村里まで三井寺領だったので、近江国から滋賀県になったんでしょうね。 ここに寂光寺というお寺があり立派な摩崖仏が鎮座されているのですが、拝観は予約制とのことで見れませんでした。ちょっと残念です。 |
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長等山をでて山科にでてきた琵琶湖疏水。 | ||
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ハイキングコースは疏水にそって京阪四宮駅にむかいますが、今回は藤尾道をたどって旧東海道に合流します。 | ||
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三井寺観音道の大きな石柱の建つ小関越の別れです。手前の道路は旧東海道。 暑い中でしたが、意外に知らなかった大津の歴史街道を歩けました。まだまだ見落としたところも多いので、秋になって涼しくなれば、大文字山を越えて銀閣寺から三井寺に至る如意越えのハイキングコースと合わせて歩いてみたいです。 この後は、岡崎の京セラ美術館に移動して、展示を鑑賞します。 * |
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