10月24日は、ミホミュージアムに行ってきました。 | ||
「ミネアポリス美術館 日本絵画名品」展をやってます。 この美術館は、アメリカのミネソタ州ミネアポリス市にあり、2,500 点の浮世絵をはじめとする 9,500 点に及ぶ日本美術コレクションは、質・量ともに欧米屈指との高い評価を得ているそうです。 |
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信楽の山奥は、季節の進みが早く、もう紅葉している木々がみられます。その中をトンネルを抜けて、展示室へ。 展示は8章に分かれてますが、順路は順不同でした(^^; |
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最初は、第1章ー水墨画。 山田道安筆「龍虎図屏風」(右隻)、左隻は虎図です。 道安は戦国時代から桃山時代にかけての武将で、絵画や彫刻の才があり、奈良の大仏殿が戦で焼かれたとき、大仏を修理し、大仏殿を再建したそうです。 |
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第3章ーやまと絵。 伝 土佐光吉筆 源氏物語図「胡蝶」。 土佐光吉は室町時代から安土桃山時代に活躍した絵師。中世から近世へ大和絵を橋渡しする役割を担ったと評されます。 |
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第2章ー琳派。 左は、伝俵屋宗達筆 源氏物語図屏風、右へ、宗達筆 虎図、酒井抱一筆 楸に鷦鷯図(きささげにみそさざえず)、 鈴木其一筆 富士三保松原図 など。 宗達は、光琳とならんで琳派の祖と仰がれ、抱一と其一は江戸後期の琳派の後継者とされます。 |
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第2章 狩野派の時代 伝 狩野山楽筆 四季耕作図屏風(旧大覚寺正寝殿襖絵) 山楽は、安土桃山から江戸時代初期にかけての狩野派の絵師。豊臣氏滅亡後も京にとどまり京狩野の祖となりました。 |
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第7章ー画壇の革新者たち いわゆる「奇想の系譜の作家」たちです。 曾我蕭白筆 群鶴図屏風(左隻)左側には波がしらに孤高を守る鶴のみ描かれてますが、右隻には鶴の親子が群れ遊ぶ様子が描かれています。 蕭白は、江戸時代中期の絵師。池大雅や円山応挙と同時代に京都を中心に活躍しました。 |
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伊藤若冲筆 鶏図押絵貼屛風 若冲といえば鶏ですが、これは80歳前後の亡くなる2・3年前の作だそう。老いて益々盛ん(失礼)なバイタリティーに圧倒されますね(^^; | ||
第6章ー日本の文人画。 池玉蘭筆 西湖図。玉蘭は池大雅の奥さんとして知られますねが、二人の漫才の掛け合いのような逸話には笑ってしまいます。 |
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第5章ー浮世絵 さすがに浮世絵はこの美術館の日本美術コレクションの眼玉だけあって、有名・無名をあわせてたくさん展示がありました。 これは、鳥居長清の「三囲神社の夕立」です。宝井其角「夕立や田を見めぐりの神ならば」の句の想を得ているようです。 |
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三畠上龍筆 舞妓覗き見図。 三畠上龍は知らなかったのですが江戸時代後期の大坂で活躍した浮世絵師です。風で裾が乱れて足が露になり戸惑う舞妓とそれを丸窓からはやし立てる丁稚小僧。 面白い構図です(^.^) |
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最後は第8章ー幕末から近代へです。 佐竹永海筆 風神雷神図。 佐竹永海は幕末の彦根藩御用絵師を務め、井伊直弼に可愛がられました。直弼が桜田門に斃れた後も、明治時代まで彦根藩と関係が続いたそうです。 風神は大鷲に掴まれて空へ引き上げられ、雷神は蟹に足を挟まれて海に引きずり込まれる。という、ユーモラスな構図になってます(^_-)-☆ |
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見終わった感想ですが、意外に知らない絵師が多いということ。 どういう経緯で、これらの作品が海を渡っていったのか知りませんが、当時のコレクターのは相当な鑑識眼があったのか、それとも金に飽かせて(失礼)手当たり次第につかみ取ったのか(笑) それと、写真撮影OKなのもアメリカらしいですね(^.^) 12月12日までやってます。まだ時間はありますからぜひ行ってみて下さい。詳しくは、美術館のHPへ。 |
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